なぜ私は、テンペラという技法で描き続けているのか。
この問いは、これまで何度も自分に向けられてきました。
そして私にとっては、
その問いこそが、ずっと心の奥にあるものでした。
以前、ある画家の方にこう言われたことがあります。
「なぜテンペラなのか、説明できるのか」
「そんな絵は海外では認められない」
とても厳しい言葉でした。
その問いの奥には、
「油絵でも同じことはできるのではないか」
という意味も含まれていたのだと思います。
実際、絵の具を重ねることだけであれば、
どの技法でも可能です。
けれど私は、
日本画、アクリル、油彩とさまざまな技法を経て、
ひとつの質感をずっと探し続けていました。
それは、
藤田嗣治の作品のような、
どこまでも滑らかで、
まるで陶器のような静かな肌。
そして、
絵の中から祈りと光があふれ出てくるような、
優美で静かな抒情性でした。
キャンバスの布の質感や、
絵の具を盛り上げるタッチには、
どうしても自分の感覚がなじみませんでした。
アクリル絵の具の色彩も、
どこか自分とは響き合わないように感じていました。
もっと静かで、
もっと内側から光るような表現を求めていました。
そのとき出会ったのが、
油彩とテンペラの混合技法でした。
絵の具を薄く、何層も重ねていくことで生まれる
ビロードのような質感。
板を支持体に、生命の象徴である卵メディウムを用いて
何層も絵の具を塗り重ねて描かれるその絵は、
ただの「絵の具」ではなく、
どこか生命の気配を帯びていました。
それは、
描いているというよりも、
板の中から何かが現れてくるような、
命や魂が静かに宿っていくような感覚でした。
そしてやがて、
私は黄金背景のテンペラ古典技法へとたどり着きます。
イコンのように、
光そのものを宿した世界。
卵黄メディウムと顔料だけを用いて描かれるその技法は、
原始的でありながら、さらに純粋で、静かで、
まるで祈りそのもののようでした。
テンペラという技法は、
決して効率のよいものではありません。
絵を描く前に支持体をつくり、
板に下地を何層も塗って乾かし、
磨いていきます。
その上に、さらに何層も絵の具を重ねながら、
少しずつ形を立ち上げていきます。
けれど、その時間の積み重ねの中にしか、
現れない光があります。
だから私にとってテンペラは、
単なる技法ではありません。
それは、
自分自身の在り方そのものです。
光を探し、
静かに向き合い、
祈るように描くこと。
その過程のすべてが、
絵の中に宿っていく。
私は「無条件の愛」を描きたいと思っています。
言葉では伝えきれないものを、
光として、色として、この世界に残したい。
そのために、
この技法が必要でした。
あのとき答えられなかった問いは、
いまも私の中にあります。
けれどそれは、もう迷いではなく、
私を支える確かな軸になりました。
だから私は、今日もまた
テンペラで描き続けます。
静かな光の中で、
祈るように。
この光が
誰かの心の中で
そっと灯りますように。