2000年 モナコフェスティバルを記念して寄贈した作品がモナコ王室所蔵に決まりました。
当時の国王レーニエ3世大公より感謝状が届きました。
モナコフェスティバルに作品を展示しようと思ったのは、イタリアでの個展の開催が決まり、打ち合わせに訪れたギャラリーでモナコフェスティバルが開催されるのを知り、出展しませんかとお誘いを受けたのが始めでした。
テンペラの本場イタリアでの個展の開催が決定し、その前にヨーロッパでの腕試しではないけれど、美術に造形の深い皆様の感想をお聞きしたいと思ったからです。
初めての海外展でとても緊張して参加したのですが、モナコフェスティバルとイタリア個展の開催に尽力してくださったギャラリーのアートディレクターが海外でとても評価が高く、この方の紹介ならということでとても広いスペースを確保していただけました。
モナコ公国の中でも由緒ある場所で個展形式のように作品を展示することができました。
展示会場に行って驚いたのは、絵の上に大きくGrand Maetoro Détrempeと書いてあったので意味を聞いたら、テンペラ画の大巨匠!
海外では日本のように~展作家、~賞画家のような評価は一切せず作品の力だけが評価を受けるのですよとアートディレクターに言われ、とても嬉しかったと同時に身が引き締まる思いでした。大巨匠と紹介されたので、面白かったのは絵を見てくださる方が皆、作者は80代90代の老画家と思ったらしく、私が描きましたと言うとびっくりしてこの若さでどうやって技術を身につけたのですかと聞かれました。
とても印象深かったのは、日本ではテンペラという言葉自体馴染みがなく無関心な方が多いのに比べ、テンペラ画の技術にとても興味を持っていただき、ヨーロッパの伝統である古典技術を日本人女性が受け継いでくださっていると感謝の言葉をたくさん聞くことができました。テンペラ画を始めたのは、希少価値があるからという理由ではなく、自分が描きたい世界を表現できる技法を長い年月根気強く探し求め、やっとたどり着いた技法だったからです。
習得するのにとても長い年月がかかり、自分ではこの技法で作品を描き切る事ができないのではないかと何度も挫折しそうになったこともありました。なぜこの技法でなければならないのかと自問自動したこともありましたが、板に絵の具が馴染んでいく感触、ベルベットのような質感、豊かな色彩表現、繊細な描き込みができるのはテンペラ絵画の他にないと今でも確信しております。
金箔を使用することで二次元的なアプローチもできることから、西洋絵画と日本画の両方の良さを表現することもできると感じています。
モナコフェスティバルに出展したことでたくさんの自信を得ることができました。
作品を寄贈しようと思ったのは、海外初出展の記念として何かを残したいと思ったからです。
作品寄贈を申し出た時、モナコはアーティストが作品を寄贈したがる国で、寄贈した作品がどこに所蔵されるかはわかりませんと言われました。どこに残ろうと自分の海外の第一歩になると思い、一生懸命作品を仕上げ残しました。
その後帰国してから、驚くような奇跡が起こりました!
モナコから一通のお手紙が届いたのですが、フランス語だったので意味がわからず、モナコフェスティバル出展の礼状かなとしばらく放っておきました。
モナコフェスティバルの事務局に伺う用事があり、こんなお手紙がきてましたと見せると、事務局中が騒然!「これはモナコ王室の紋章ですよ!王室から個人あてにお手紙が直接届くなんて!」と絶句されました。
内容は、寄贈した作品が王室所蔵になりましたという感謝状で当時の国王であったレーニエ3世(奥様はグレースケリー王妃)からのサインがありました。
事務局のお話を聞くと、王室の紋章入りの手紙(封筒)はとても貴重でどこの郵便局員も欲しがり、なかなか海外に届くことがないそうです!他の封筒に入れて出すこともあるそうですが、王室紋章入りの封書が個人のお宅にダイレクトに届くとはこれも奇跡だと驚かれました。
たくさんの奇跡が起こった海外初出展はとても良い想い出になりました。
ご尽力くださった伊達様他、たくさんの皆さま本当にありがとうございました。
寄贈作品「雪・月・花」 | レーニエ大公より感謝状 |
レーニエ3世(Rainier III de Monaco, Rainier Louis Henri Maxence Bertrand Grimaldi) とグレースケリー | モナコ大臣と寄贈作品の前で |
モナコ公国より感謝状 | モナコフェスティバル展示会場 |
展示会場 |